雑賀衆について 雑賀鉢 雑賀データ 雑賀衆年表 雑賀衆感 孫市の会のたたかい
新撰組と聞けば誰もがその姿が頭に浮かぶ。しかし雑賀衆と聞いてその姿が浮かぶ人はまずいない。秀吉が紀州征圧の拠点とした伝法橋など地名にわずかに名残りが、残っている程度で、かつて紀ノ川河口付近で京や堺のように栄えたという紀伊湊の名残もなく、織田信長が攻めてきた時に雑賀衆が拠点として戦った城もほとんど残っていない。どうやって雑賀衆を知ってもらうか・・雑賀衆甲冑の再現しかないのだが・・そう悩んでいた時に手作りでダンボールや厚紙などで本物に近い甲冑を作っている事例がある!との情報を得たのでした。
グッズ まごりんストラップ ヤタっちぬいぐりみストラップ 雑賀鉄砲衆Tシャツ 八咫烏Tシャツ・mossgreen 八咫烏Tシャツ・black 雑賀衆パーカー 雑賀衆タオル 雑賀孫市タオル 孫市ミニタオル ミニタオル「孫市の里」
クリアファイル 雑賀孫市(8回) クリアファイル 雑賀孫市(9回) クリアファイル まごりん マグカップ雑賀衆 マグカップ雑賀孫市 ミニ背旗 雑賀衆 雑賀衆背旗 缶バッチ「戦国八咫烏」 缶バッチサギノモリン 缶バッチまごりん&ヤタっち 携帯クリーナー
輪ゴム6連射 火縄銃 輪ゴム6連射 短筒 火縄銃短筒ストラップ 雑賀孫一フィギュアストラップ 戦国武将ストラップ雑賀孫一 フィギュア雑賀孫一
特定商取引法 支払い方法 配達方法と送料 お問い合わせ
孫市城レポート 雑賀孫市で街おこし事業 孫市の会のたたかい 私たちの街を孫市の街に 雑賀衆本拠の街・市駅前 雑賀孫市は和歌山の宝 「歴女」の恋心をくすぐれば 火縄銃について 水攻めの太田城周辺散策
お祭レポート 甲冑デビューぶんだら踊り04 孫市の街!市駅夏まつり04 孫市の街!市駅夏まつり05 孫市の街!市駅夏まつり06 孫市の街!市駅夏まつり07 孫市の街!市駅夏まつり08 孫市の街!市駅夏まつり09 孫市の街!市駅夏まつり10 第4回孫市まつりレポート 野外劇「雑賀衆の戦い」 第5回孫市まつりレポート 第6回孫市まつりレポート
孫市城動画 第8回孫市まつり予告編 これが、雑賀鉢だ! 平成に蘇る戦国鉄砲侍 戦国ヒーローで盛り上げよう! 「まごりん」動画紹介ページ
お城探索記 撮影集・姫路城 撮影集・彦根城 撮影集・和歌山城 甲冑で和歌山城 ほにゃぢさんと和歌山城
孫市城掲示板[BBS]
リンク 孫市の街まちづくり 孫市の街まごりんの街 まごりんが行く 孫市まつりホームページ 雑賀衆ファンページ
大きな地図で見る
社会経済研究所 研究所報「21世紀WAKAYAMA」VOL.44に掲載された寄稿文を
紹介します。 最近、久しぶりに読み直してみたら甲冑姿になった原点が、
そこにありました。
◇ ◇ ◇ ◇
雑賀衆の本拠の街『孫市の街=和歌山市駅前』
〜雑賀衆甲冑の再現を通じて〜
2004年孫市の街!市駅夏まつり
2004年8月28日に『孫市の街!市駅夏まつり』は、他府県からのお客様も
多数あり、大いに賑わい盛大に開催されました。今年は、はじめて街の特徴
である『孫市の街』を全面に出してのまつりでした。雑賀衆の本拠の街であ
り雑賀鉢を作っていた街をアピールする『孫市の街!市駅夏まつり〜よみが
えれ!雑賀衆〜』というのテーマで実施されました。紀州雑賀鉄砲衆と黒潮
躍虎太鼓の演武や手作りの雑賀衆甲冑姿が登場して、そのテーマを際立たせ
た『市駅夏まつり』となりました。
始まり〜それは、雑賀衆の本拠の街と知った時
『孫市の街=和歌山市駅前』のそもそもの始まりは、平成13年に和歌山
市立博物館館長である寺西貞弘氏にご講演いただいてからでした。その時に、
私たちの街が雑賀衆の本拠であったことを初めて知りました。紀ノ川の河口
には川港の紀伊湊がありました。紀伊湊は、全国から集まってくる運上米を
高野山へ運ぶ基地であり、当時最も栄えた商業地でした。三日市・六日市な
ど市も盛んに催され、その一番賑やかなところに鷺森御坊がありました。こ
の周辺が雑賀衆の中心でした。現在の宇治交差点辺りで雑賀鉢と呼ばれてい
る雑賀兜を当時作っていました。雑賀鉢に「紀州宇治住」と作者の住んでい
た場所が、銘に残っているのが何よりの証です。鉄砲の保有数や甲冑作りに
優れていたことなどから鉄砲も雑賀荘宇治で作っていたといわれています。
『孫市の街=和歌山市駅前』取り組みスタート
自分たちの街がそういう歴史的に素晴らしい街であり、雑賀衆の本拠の街
であったことがわかりました。そこで、私たちが求める「街の顔」つまりエ
ース像を『雑賀孫市』と決定し、市駅地区を『孫市の街=和歌山市駅前』と
して「楽しみにあふれた街」に向けてのスタートを平成15年に切りました。
キャラクター"まごりん&ヤタっち"の誕生
その手始めとして『孫市の街=和歌山市駅前』のキャラクターを発表して、
キャラクターの愛称を公募しました。昨年8月23日に"まごりん&ヤタっち"
という素晴らしい名前が付きました。みなさまに愛される和歌山市駅前にふ
さわしいキャラクター"まごりん&ヤタっち"の誕生でした。
雑賀衆の姿は?
しかし、雑賀孫市と雑賀衆について広く知られていない現状がありました。
新撰組と聞けば誰もが新撰組の姿が頭に浮かびますが、雑賀衆と聞いてその
姿が浮かぶ人は、まず居ないでしょう。天正十三年(1585年)の紀州攻めの
時に秀吉が紀州征圧の拠点とした伝法橋など地名にわずかに名残りがありま
すが、かつて紀ノ川河口付近で京や堺のように栄えたという川港"紀伊湊"の
形ある名残りは、ほとんどありません。織田信長が攻めてきた時に雑賀衆が
拠点として戦った城も、ほとんどその名残りをとどめていません。
雑賀孫市を「街の顔」にして『孫市の街=和歌山市駅前』を進めるには、
もっと雑賀衆自体を広く知ってもらう必要がありました。吉宗に代表される
江戸時代の紀州徳川家は、御三家として一般にも広く知られています。しか
し、戦国時代に紀州で活躍し天下の情勢を揺るがした雑賀衆は、幅広く知ら
れてないのが現状です。もちろん最強の鉄砲集団として知っている方には、
あこがれも込めた通の人気があります。戦国時代は、幕末を押さえて歴史で
一番人気がある時期です。その戦国時代に11年間、織田信長を苦しめた信
長の「最大の敵」であった我らが雑賀衆を歴史のなかに埋もれさせるわけに
はいきません。雑賀鉢と言われる雑賀兜もその専門の方には究極のあこがれ
の存在です。最後には、雑賀鉢をかぶりたいと思っている歴史まつり参加者
も多いです。この素晴らしい雑賀鉢を自分たちの街で作っていたことをもっ
と広くアピールする必要がありました。
雑賀衆の再現へ
それでは、どのようにして雑賀衆を広く知ってもらうか、それは、雑賀衆
の再現しかないと思っていました。もっと身近に雑賀衆と雑賀鉢を市民や多
くの方々の目に触れる存在にしなければならない、そう思っていたのです。
しかし問題は、費用がかかりすぎることです。ちょうどその悩みを抱えてい
た時にある情報が入ったのです。それは、手作りでダンボールや厚紙などで
本物に近い甲冑を作っている事例がある、という情報でした。
調べるうちに甲冑隊作りで街起こしをしている地方自体があるのもわかり
ました。神奈川県横須賀市は、3年間甲冑製作講習会を実施し、その受講生
で組織している横須賀開国甲冑隊が市民ボランティア団体となり「開国のま
ち横須賀」と「よこすか開国祭」のPRを目的に活動しています。幕末に三
浦半島の海防にあたった武士の「よろい」を手作りで再現し、男女44名の
メンバーが在籍しており、市内外の様々なイベントに出演するほか、テレビ、
新聞に取上げられるなど大活躍をしています。
和歌山市でも雑賀衆で街起こしをするには、「これしかない!」と思いま
した。そして大阪城甲冑教室の講師である河井計実先生に行き着きました。
真田幸村の"真田の赤備え"といわれた「頭形兜と桶側二枚胴具足」を作るの
が大阪城甲冑教室の基本です。相談した結果、いきなり雑賀鉢や雑賀衆甲冑
姿の製作に取り組みのは、難しいということになりました。雑賀鉢は、角鋲
や鋲など細かい造作が多く再現するのが難しい兜だからです。そこで手始め
に7月24日からの第3回甲冑教室に通って、まず手作りの紙製甲冑作りから
始めることになりました。そして雑賀衆甲冑姿の再現を模索しながら紙製甲
冑作りにチャレンジすることにしました。
雑賀衆甲冑姿の完成
手作りの甲冑は、8月21日の紀州ぶんだら踊りの日に完成し、紀州雑賀鉄
砲衆の采配役としてデビューしました。兜も角鋲や鋲、吹き返し、眉形など
付けてそれらしくなりました。八咫烏の前立てや八咫烏を描いたはいたて、
胴には鈴木の家紋を入れてお祭り気分に合わせて少し派手にもしました。
『孫市の街!市駅夏まつり』までに雑賀衆甲冑姿の再現は、ようやく実現し
たのでした。
今後の活動について
今後は、雑賀衆をより市民のみなさまに身近に感じてもらえるように雑賀
衆甲冑隊の増強に努めていく所存です。もちろん、『孫市の街=和歌山市駅
前』で商売をされている方々や住んでいる方々が、自分たちの街に誇りをも
って雑賀衆や孫市の街の語り部となっていくこと。”まごりん&ヤタっち”
という素晴らしいキャラクターを活かした新しい商品展開や雑賀衆にちなん
だ新商品の開発など『孫市の街=和歌山市駅前』として街全体がもっともっ
と盛り上がって行く必要があります。さらに、和歌山市駅前広場に雑賀孫市
像を建立したり、宇治交差点付近にかつて雑賀鉢を作った場所であることを
明示する看板の設置など雑賀衆の息吹を目に見える形で街のあちこちに整備
・展開して行く必要があります。
紀州人が最も自由闊達に活躍していた時代は、「雑賀衆」が活躍した時代
だと思います。『孫市の街=和歌山市駅前』は、単に商店街の利益追求のた
めに街づくりが推進されているものではありません。戦国時代に織田信長を
11年間も苦しめた素晴らしい鉄砲集団が、今の和歌山市全域の紀州にいた。
雑賀衆の本拠の街として『孫市の街=和歌山市駅前』は、雑賀衆で和歌山市
全体をアピールする、その発信地になろうとしているのです。そして自分た
ちの街自体も雑賀衆の息吹を感じさせる街、夢とロマンあふれる「楽しみに
あふれた街」の実現に向けて、今後もさまざまな事業を展開していきたいと
考えています。
(財)和歌山社会経済研究所
研究所報「21世紀WAKAYAMA」VOL.44より(2004.11.30発行
和歌山社会経済研究所の研究所報「21世紀WAKAYAMA」に今年10月13日
締め切りで寄稿を依頼されました。原稿を仕上げるあたって研究所報
VOL.44に2年前に書いて掲載された「雑賀衆の本拠の街『孫市の街=
和歌山市駅前』」を改めて読み直して構想を考えているところです。
久々に読んでみて甲冑姿になった原点がそこにありました。
ホームページには、未紹介でしたのでここに紹介いたします。
◇ ◇ ◇ ◇
このホームページは、孫市の会と
紀州雑賀「孫市城」が作成しています。Copyright © 孫市の会 紀州雑賀「孫市城」All Rights Reserved.